「究極の枠内」とは何か?:生と死の境界線から考える

有料記事(300円/本)です。いま無料の記事も有料に移行予定です。そのため他の記事を今後も読みたい場合は2024年度エッセイ集(1000円)がオススメです。最終的に計21本を収載予定です。タグから記事一覧を確認できます。音声は一番最後に添付しています。
一言サマリー
生と死という究極の枠組み:当たり前すぎて実感できない「生きている」ことの価値を、枠内/枠外の視点から見つめ直すエッセイです
要点まとめ
- 「生きている」ことは究極の枠内であり、すべてのモノやサービスは生者のために存在している
- 「死」は究極の枠外で、一方通行の完全な分断がある個人的な出来事である
- 生きていることはあまりに当たり前で安定しているため、普段その価値を実感することは難しい
- 病気や事故で死に近づいたとき、初めて「生」という枠組みの価値を実感できることがある
- ギリギリで枠内に留まりながら言葉を残してくれた人の言葉には深い意味がある
- 普段は見えない「生きている」という枠組みを時々意識することで、日常に新たな輝きが生まれる
notebooklmによる音声概要(機械音声による全文読み上げは末尾にあります)
この記事は前回の枠組みについてのエッセイをまとめた後に、ふと心に浮かんだ思いをつづったものです。
もともとは「おまけ」的な内容だったのですが、思いのほか長くなってしまったので別の記事にしました。
前回の記事の続きとして読んでもらえたらうれしいです。
なお、生と死についての考察を含むため、もし最近大切な方を亡くされた方にとっては、つらい内容が含まれているかもしれません。
有料記事ですので、購入の際にはご注意いただければと思います。
目次
究極の枠内とは
前回の記事では、「枠内/枠外」という視点で、いろいろな境界線について考えてみました。
その中で究極とも言える「枠内」は「生きている」ということではないでしょうか。
