一言サマリー
SNSやネットで感じる疲労感の背景にある「物語の過剰摂取」という現象を、飽食の時代との構造的な類似から考察し、自分の物語を綴ることの大切さを探ったエッセイです。
要点まとめ
- SNSや動画で感じる「なんか疲れた」は、情報量の多さだけでなく「物語の摂りすぎ」が原因かもしれない
- 人間は物語をとおして世界を理解する本能を持っており、その本能が現代のインプレッション経済に利用されている
- この構造は、食欲が利用されているのと似ている
- 感動系やライフハックなど「一見よさそうな物語」も、シェアされやすいように加工されており、本能を刺激するリスクがある
- 飽食の時代では健康のために自炊するように、物語も自炊=「自分の物語を自分で綴ること」が心の健康につながる
スマートフォンを置いたあと、なんだかぐったりする。そんな経験はありませんか。
SNSを開けば、誰かの感動的なエピソードが流れてくるし、YouTubeでは「人生を変える習慣」みたいなライフハックが紹介されている。
どれも悪いものではないはずです。 心は動かされるし、役に立つ情報も多い。
でも、これらを見ていると時間が思ったより経ってしまうし疲労感も残る。
今回は、この「なんか疲れた」の正体について、食の世界と比較しながら考えてみたいと思います。
目次
あらゆる場所から情報に呼びかけられる時代
いま私たちの周りには、かつてないほど多くの情報があふれています。
たとえばYouTubeでは、毎分500時間以上の動画がアップロードされています。
1日あたりだと約72万時間。
これをすべて見ようとしたら、およそ82年かかる計算です。
たった1日分の投稿を見きるのに、ほぼ一生分が必要になってしまう。
しかもこれはYouTubeだけの話で、TikTokやInstagram、ニュースサイトなどを合わせれば、その量はさらに膨れあがってしまいます。
そして、そのほとんどが「見て」「聞いて」と訴えかけるように作られています。
なぜならインプレッションが価値の基準になっているからです。
見てもらうことで広告収入が入るため、コンテンツはより刺激的に、より感情を揺さぶるように作られていきます。
スマートフォンを開けば、このようなコンテンツばかりが目に入ってしまう。
だからこそ感情が揺さぶられ、疲れてしまうのではないでしょうか。
そして、この感情が動かされることは「物語」が利用されていることで起きていると考えています。
物語に惹かれるのは本能である
ここでいう物語とは、小説や映画のことだけではありません。
SNSの投稿も、ニュース記事も、YouTubeの動画も、広い意味ではすべて「物語」です。
誰かの視点で意味づけされ、感情を動かすように作られれば物語になります。
人は、この物語に惹かれるようにできています。
では、なぜ私たちは、物語にこれほど引き寄せられるのでしょうか。
歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』の中で、人類が他の種を凌駕して繁栄できた理由として「虚構を共有する能力」=「物語の力」を挙げています。
獲物の獲り方や危険な場所の情報を、物語をとおして集団で共有する。
そうすることで集団の力が強まり、生き残りやすくなる。
この物語による結束や協力は、現代でも続いています。
たとえばお金。1万円札はただの紙切れですが、みんなが「1万円の価値がある」という物語を信じているからこそ、経済が成り立っています。
このように人は物語を信じることで社会を営んできました。
つまり物語をとおして世界を理解するという行為は、脈々と続く人間にとってきわめて根源的な能力なのです。
でも今はその本能が利用されてしまっているのではないでしょうか。
飽食と「飽物語」──利用される本能
ここで、いったん食欲について考えてみたいと思います。
現代は飽食の時代と呼ばれ、食べすぎて生活習慣病になってしまうのが問題になっていますよね。
これは食欲という本能を利用しているからこそ、起きている問題だと考えています。
そもそも人間の食欲は、カロリーが希少だった時代に最適化された本能です。
目の前に果物などのカロリーがあれば、何も考えずに食べる。
カロリーを得ると「美味しい!」と感じて報酬系が刺激される。
この本能があることで、人は飢餓の時代を乗り越えることができるようになりました。
でも現代では、むしろ美味しいけど健康を害してしまう高カロリーな食事が問題になっています。
なぜ、こんな状況になってしまったのでしょうか。
背景にあるのは、ビジネスの構造です。
レストランでも食品メーカーでも、選ばれるためには「美味しさ」を追求します。
味が濃かったり、甘みが強かったり、本能にガツンとくる食事のほうがリピートされやすい。
競争の中で、提供される食事はどうしても高カロリーに傾いていきます。
もちろん美味しいものを作ろうとする人に悪意があるわけではありません。
人に美味しいものを提供したい、笑顔にしたい。
そんな思いで料理人になったり食品メーカーに就職したりする。
でもビジネスとして追求しすぎると、時には健康を害するものが生まれてしまう。
このような構造が「物語」についても起きていると言えます。
かつて物語の数は多くありませんでした。
たとえばある地域において獲物を取るコツや、危険な場所を避けるような伝承があったとします。
それは、その集団内だけで役立つ物語です。
それくらいの情報量であれば、本能的に受け取ったとしても脳への負担はそこまで多くありません。
だからこそ「物語があれば、そのまま受け取る」という本能は理にかなっていました。
神経科学の研究でも、物語を聞くと脳の報酬系が活性化されることが示されています。
食事を食べて「美味しい!」と報酬系が刺激されるのと同じ構図です。
ところが今は前述したように大量の物語で溢れています。
食欲という本能がビジネスにおいて利用されているように、物語に対する本能もインプレッション経済に利用されている。
これが「飽物語」の時代です。
飽食と飽物語には、驚くほど共通点があります。
たとえば、どちらも過剰なほうが供給側は儲かります。
刺激的な味や糖質や脂質の多い食品のほうが売れるように、コンテンツもより感情を揺さぶるものが「バズる」。
また良かれと思って作ったものでも、悪影響が出てしまうことも似ています。
SNSの投稿にしろ、ネットのニュースにしろ、そこには「読みやすさ」や「面白さ」が求められています。
なぜなら、その方がより本能が刺激されるからです。
感動する話だったり、みじかい時間で人生が変わるとうたうライフハック、わかりやすい正義と悪による勧善懲悪の物語。
そのどれもがポジティブで「いい話」や「ためになる話」「面白い話」です。
でも、それらはシェアされやすいように加工されたものです。
そこには「この情報は価値があるから他の人にも見てほしい」という善意がベースにあります。
でも、みんなに見てもらうためには、どうしても加工が必要になります。
ビジネスにおいて食品が高カロリーになっていきやすいように、物語にもインプレッションというビジネスの要素が介在すると、感情を動かすための加工が入ってきやすくなります。
物語を「自炊」するということ
では物語の本能が利用されないようにするには、どうすればいいでしょうか。
そのためには飽食の時代の対処法を参考にすると良いのではないでしょうか。
たとえば健康的な食事を意識すると、まず明らかなジャンクフードを避けますよね。
これを物語に当てはめて考えると、明らかな炎上狙いや過激な煽り系コンテンツを意識的に遠ざけることに当たります。
次に健康食品を上手に利用することもありますよね。
つい高カロリーな食事をしてしまうのは、手軽に手に入るからという側面もあります。
そこにメーカー側も着目して、栄養バランスを整えた健康食品が増えています。
同じように物語においても、手軽だけれど長期的な視点で作られたコンテンツを選ぶ。
ただ短期的に感情を動かすことが目的としたものではなくて、あくまで長期的な目線を意識したコンテンツを選ぶ。
読みやすいけど即効性はない。じっくりと取り組むことで心に栄養を届けてくれるようなもの。
このようなものが当てはまるんではないでしょうか(ちなみに自分が作るコンテンツも、ここを目指しています)。
ただ健康食品にも加工は入ってしまいます。
手軽さと健康はある程度両立できるけれど、それだけに頼り続けるのは心もとない。
だからこそ、もっとも大切なのは「自炊」だと思うのです。
物語における自炊とは、自分の物語を自分で綴ること。
外から与えられた感動や誰かがまとめてくれた人生のコツではなく、自分自身の経験や感情を、自分の言葉で見つめ直してみる。
それは時間がかかるし、面倒くさいし、すぐに効くものでもありません。
でも自分の体に合った食事を自分で作れる人が、飽食の時代をもっとも健やかに生きられるんじゃないでしょうか。
同じように自分の物語を自分で綴れる人は、飽物語の時代の中でも心の健康を保てるのではないかと思います。
おわりに
飽食の時代に、食事を見直す人が増えました。 カロリーを気にしたり、添加物を確認したり、ときには自炊をしたり。
物語との付き合い方も、同じように少し意識してみるだけで、あの「なんか疲れた」の感じ方は変わるのではないでしょうか。
もちろん、すべてのコンテンツを避ける必要はありません。
外食だって加工食品だって、適量なら美味しさで人生を彩ってくれます。
大切なのは、自分がなにを、どれくらい摂っているのかに気づくこと。
そして、ときには自分で自分の物語を綴ってみること。
その小さな一歩が飽物語の時代を生きるためには、大切なのではないでしょうか。
関連エッセイ
「自分の物語を綴る」ということについて、より具体的に書いたエッセイもあります。
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一言サマリー
SNSやネットで感じる疲労感の背景にある「物語の過剰摂取」という現象を、飽食の時代との構造的な類似から考察し、自分の物語を綴ることの大切さを探ったエッセイです。
要点まとめ
- SNSや動画で感じる「なんか疲れた」は、情報量の多さだけでなく「物語の摂りすぎ」が原因かもしれない
- 人間は物語をとおして世界を理解する本能を持っており、その本能が現代のインプレッション経済に利用されている
- この構造は、食欲が利用されているのと似ている
- 感動系やライフハックなど「一見よさそうな物語」も、シェアされやすいように加工されており、本能を刺激するリスクがある
- 飽食の時代では健康のために自炊するように、物語も自炊=「自分の物語を自分で綴ること」が心の健康につながる
スマートフォンを置いたあと、なんだかぐったりする。そんな経験はありませんか。
SNSを開けば、誰かの感動的なエピソードが流れてくるし、YouTubeでは「人生を変える習慣」みたいなライフハックが紹介されている。
どれも悪いものではないはずです。 心は動かされるし、役に立つ情報も多い。
でも、これらを見ていると時間が思ったより経ってしまうし疲労感も残る。
今回は、この「なんか疲れた」の正体について、食の世界と比較しながら考えてみたいと思います。
あらゆる場所から情報に呼びかけられる時代
いま私たちの周りには、かつてないほど多くの情報があふれています。
たとえばYouTubeでは、毎分500時間以上の動画がアップロードされています。
1日あたりだと約72万時間。
これをすべて見ようとしたら、およそ82年かかる計算です。
たった1日分の投稿を見きるのに、ほぼ一生分が必要になってしまう。
しかもこれはYouTubeだけの話で、TikTokやInstagram、ニュースサイトなどを合わせれば、その量はさらに膨れあがってしまいます。
そして、そのほとんどが「見て」「聞いて」と訴えかけるように作られています。
なぜならインプレッションが価値の基準になっているからです。
見てもらうことで広告収入が入るため、コンテンツはより刺激的に、より感情を揺さぶるように作られていきます。
スマートフォンを開けば、このようなコンテンツばかりが目に入ってしまう。
だからこそ感情が揺さぶられ、疲れてしまうのではないでしょうか。
そして、この感情が動かされることは「物語」が利用されていることで起きていると考えています。
物語に惹かれるのは本能である
ここでいう物語とは、小説や映画のことだけではありません。
SNSの投稿も、ニュース記事も、YouTubeの動画も、広い意味ではすべて「物語」です。
誰かの視点で意味づけされ、感情を動かすように作られれば物語になります。
人は、この物語に惹かれるようにできています。
では、なぜ私たちは、物語にこれほど引き寄せられるのでしょうか。
歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』の中で、人類が他の種を凌駕して繁栄できた理由として「虚構を共有する能力」=「物語の力」を挙げています。
獲物の獲り方や危険な場所の情報を、物語をとおして集団で共有する。
そうすることで集団の力が強まり、生き残りやすくなる。
この物語による結束や協力は、現代でも続いています。
たとえばお金。1万円札はただの紙切れですが、みんなが「1万円の価値がある」という物語を信じているからこそ、経済が成り立っています。
このように人は物語を信じることで社会を営んできました。
つまり物語をとおして世界を理解するという行為は、脈々と続く人間にとってきわめて根源的な能力なのです。
でも今はその本能が利用されてしまっているのではないでしょうか。
飽食と「飽物語」──利用される本能
ここで、いったん食欲について考えてみたいと思います。
現代は飽食の時代と呼ばれ、食べすぎて生活習慣病になってしまうのが問題になっていますよね。
これは食欲という本能を利用しているからこそ、起きている問題だと考えています。
そもそも人間の食欲は、カロリーが希少だった時代に最適化された本能です。
目の前に果物などのカロリーがあれば、何も考えずに食べる。
カロリーを得ると「美味しい!」と感じて報酬系が刺激される。
この本能があることで、人は飢餓の時代を乗り越えることができるようになりました。
でも現代では、むしろ美味しいけど健康を害してしまう高カロリーな食事が問題になっています。
なぜ、こんな状況になってしまったのでしょうか。
背景にあるのは、ビジネスの構造です。
レストランでも食品メーカーでも、選ばれるためには「美味しさ」を追求します。
味が濃かったり、甘みが強かったり、本能にガツンとくる食事のほうがリピートされやすい。
競争の中で、提供される食事はどうしても高カロリーに傾いていきます。
もちろん美味しいものを作ろうとする人に悪意があるわけではありません。
人に美味しいものを提供したい、笑顔にしたい。
そんな思いで料理人になったり食品メーカーに就職したりする。
でもビジネスとして追求しすぎると、時には健康を害するものが生まれてしまう。
このような構造が「物語」についても起きていると言えます。
かつて物語の数は多くありませんでした。
たとえばある地域において獲物を取るコツや、危険な場所を避けるような伝承があったとします。
それは、その集団内だけで役立つ物語です。
それくらいの情報量であれば、本能的に受け取ったとしても脳への負担はそこまで多くありません。
だからこそ「物語があれば、そのまま受け取る」という本能は理にかなっていました。
神経科学の研究でも、物語を聞くと脳の報酬系が活性化されることが示されています。
食事を食べて「美味しい!」と報酬系が刺激されるのと同じ構図です。
ところが今は前述したように大量の物語で溢れています。
食欲という本能がビジネスにおいて利用されているように、物語に対する本能もインプレッション経済に利用されている。
これが「飽物語」の時代です。
飽食と飽物語には、驚くほど共通点があります。
たとえば、どちらも過剰なほうが供給側は儲かります。
刺激的な味や糖質や脂質の多い食品のほうが売れるように、コンテンツもより感情を揺さぶるものが「バズる」。
また良かれと思って作ったものでも、悪影響が出てしまうことも似ています。
SNSの投稿にしろ、ネットのニュースにしろ、そこには「読みやすさ」や「面白さ」が求められています。
なぜなら、その方がより本能が刺激されるからです。
感動する話だったり、みじかい時間で人生が変わるとうたうライフハック、わかりやすい正義と悪による勧善懲悪の物語。
そのどれもがポジティブで「いい話」や「ためになる話」「面白い話」です。
でも、それらはシェアされやすいように加工されたものです。
そこには「この情報は価値があるから他の人にも見てほしい」という善意がベースにあります。
でも、みんなに見てもらうためには、どうしても加工が必要になります。
ビジネスにおいて食品が高カロリーになっていきやすいように、物語にもインプレッションというビジネスの要素が介在すると、感情を動かすための加工が入ってきやすくなります。
物語を「自炊」するということ
では物語の本能が利用されないようにするには、どうすればいいでしょうか。
そのためには飽食の時代の対処法を参考にすると良いのではないでしょうか。
たとえば健康的な食事を意識すると、まず明らかなジャンクフードを避けますよね。
これを物語に当てはめて考えると、明らかな炎上狙いや過激な煽り系コンテンツを意識的に遠ざけることに当たります。
次に健康食品を上手に利用することもありますよね。
つい高カロリーな食事をしてしまうのは、手軽に手に入るからという側面もあります。
そこにメーカー側も着目して、栄養バランスを整えた健康食品が増えています。
同じように物語においても、手軽だけれど長期的な視点で作られたコンテンツを選ぶ。
ただ短期的に感情を動かすことが目的としたものではなくて、あくまで長期的な目線を意識したコンテンツを選ぶ。
読みやすいけど即効性はない。じっくりと取り組むことで心に栄養を届けてくれるようなもの。
このようなものが当てはまるんではないでしょうか(ちなみに自分が作るコンテンツも、ここを目指しています)。
ただ健康食品にも加工は入ってしまいます。
手軽さと健康はある程度両立できるけれど、それだけに頼り続けるのは心もとない。
だからこそ、もっとも大切なのは「自炊」だと思うのです。
物語における自炊とは、自分の物語を自分で綴ること。
外から与えられた感動や誰かがまとめてくれた人生のコツではなく、自分自身の経験や感情を、自分の言葉で見つめ直してみる。
それは時間がかかるし、面倒くさいし、すぐに効くものでもありません。
でも自分の体に合った食事を自分で作れる人が、飽食の時代をもっとも健やかに生きられるんじゃないでしょうか。
同じように自分の物語を自分で綴れる人は、飽物語の時代の中でも心の健康を保てるのではないかと思います。
おわりに
飽食の時代に、食事を見直す人が増えました。 カロリーを気にしたり、添加物を確認したり、ときには自炊をしたり。
物語との付き合い方も、同じように少し意識してみるだけで、あの「なんか疲れた」の感じ方は変わるのではないでしょうか。
もちろん、すべてのコンテンツを避ける必要はありません。
外食だって加工食品だって、適量なら美味しさで人生を彩ってくれます。
大切なのは、自分がなにを、どれくらい摂っているのかに気づくこと。
そして、ときには自分で自分の物語を綴ってみること。
その小さな一歩が飽物語の時代を生きるためには、大切なのではないでしょうか。
関連エッセイ
「自分の物語を綴る」ということについて、より具体的に書いたエッセイもあります。
もし興味があれば、こちらもご覧ください。
∞TORY
心を癒やすための第一歩:「自分の物語を綴る」とはどういうこと?
つらいとき、誰かに支えてもらいたいと思うのは自然なこと。でも、その気持ちにつけ込む人もいるのが現実です。だからこそ大切なのは、自分の物語を自分の手で綴ること。無...
∞TORY
寝覚めを良くすれば人生は変わる?:睡眠改善で綴る”自分”の物語
睡眠時間と寝覚めの気分の関係。実はここには"自分の物語"が存在しています。睡眠を整えていくことがペンを取り戻して自分で綴ることになる。生活習慣から取り戻す"自分の...