自分の専門家になる:もっと自分を知ることにコストをかけても良いのでは?

一言サマリー
自分自身については専門家と呼べるほど理解はできていない。だからこそ、自分を知るためにコストをかけて分析することが大切。
要点まとめ
- 自分のことを理解しているつもりでも、実際は10%も理解できていないかもしれない
- 自分の興味・関心について分析することは、自己理解を深める有効な手段
- 人間は「物語」と「生物学的特性」の両面を持っている
- 自分との付き合いは一生続くからこそ、自分の専門家になる価値がある
今日は「自分の専門家になる」というテーマについて考えてみたいと思います。
専門家になると言われても、そもそも自分のことなんて誰よりも詳しいよ!と思うかもしれません。
たしかに他の人に比べれば、自分自身のことは自分が一番よく知っています。
家族や友人、仕事仲間、ひとりのとき、それぞれの場面で違った顔を持つ「自分」をすべて知っているのは自分自身だけだからです。
でも、それだけで「専門家」と言えるのでしょうか?
自分のことでも、よくわかっていないことはたくさんあります。
たとえば私の場合、趣味である美術館に行く理由に何年もしてから気づいたことがあります(詳しくは以下の記事に書いてます)。
∞TORY


言葉で上げる自分の解像度:内なる想いを伝えるチカラ : ∞TORY
自分のこと、ぼんやりとしか見えていない気がしませんか。言葉が心のピントを合わせ解像度を上げる――内なる世界と外の世界をつなぐカギを探る物語です。
また向き合いたくなくて、棚上げにしている一面も持っています。
そう考えると、自分のことをいろいろと知ってはいるけど専門家とは言えないなと感じます。
「自分」とは一生付き合っていく相手。
だからこそ、もっと丁寧に理解を深めて専門家になる価値があると思っています。
目次
自分自身を知る
ここからは具体的に自分自身の専門家になるための方法を考えていきたいと思います。
自分を知るためによく使われるのは性格診断テストです。
もちろん、このようなテストも自分自身の理解度を上げてくれます。
しかし、あくまでこれは自分の精神的な一面にすぎません。しかも社会を生きる上で重要な一面に特化したものが多いです。
例えばストレングス・ファインダーと言われる性格診断テストは、社会で役立つ自分の精神的特徴を知るためのものです。
34に分類された精神的な特徴のランキングをつけて、自分の強みを教えてくれます。
実際に私が受けたときの精神的な強みTOP5は内省、学習欲、戦略性、収集心、最上志向でした。
これらの強みを、どう社会で活用するか。テストを受けると、そのようなレポートを購入できます。
またリーダー向け、マネージャー向けなど、それぞれの職種に特化した形のレポートも販売されています。
このような性格診断テストは「社会を生きる自分」という切り口での自己分析です。
ただ精神的な一面には、社会的な側面ではない個人的な側面も存在します。
今回は、この個人的な側面に着目してみたいと思います。
なぜなら当たり前過ぎて、なんとなくの理解になることが多いからです。
興味・関心から知る自分の一面
個人的な側面を知る切り口のひとつが、興味・関心だと思っています。
私自身を例にして、自分自身を丁寧に分析してみたいと思います。
私の場合は、以下の分野に興味・関心があります。
- 言葉
- 歴史
- 創作
- 行動経済学
- 心理学
- 脳科学
- 医学
- 健康
一覧にすると以下のようになります。

このような分野に興味・関心が広がっているのは、人に興味があるからです。
より限定的に表すと自分自身に興味があります。
前述したように、まだ自分のことを10%も理解していないという感覚があります。
だからこそ自分を知るために、どうすれば良いか。その情報を集めるために、このような分野へと興味・関心が広がっています。
図では大きく物語と生物学的特性という領域に分けています。
このように分けるのは自分自身の悩みや興味がベースになっています。
他の人には苦も無くできることが、自分にはできないのはなぜだろうという悩み。
逆に自分には苦も無くできることが、他人にとっては苦労が伴うという興味。
たとえば運動が好きで苦も無く習慣化できる人がいる一方で、自分にはそれができません。
自分にとって読書は苦も無くできる習慣ですが、ある人にとっては苦労が伴っています。
簡単に言えば三日坊主の話です。でも誰もが持つ悩みでも、細かく見るとさまざまな違いがあります。
そこにはサボりたい、楽をしたいという、多くの人に共通する生物学的特性があります。
しかしサボりたいものは千差万別で、そこには物語があります。
多くの人に共通する生物としての特性と、個人が生み出す無限とも言える物語。
その両方を知ることが自分の理解度を上げるのに役立つと思っています。
だから興味・関心が上記の分野に広がっていきます。
次に、物語と生物学的特性について詳しく考えていきたいと思います。
物語への興味
まず物語の部分。ここにも自分の特徴が表れています。
自分は言葉に興味があります。なぜなら文章や会話など言葉でインプットすると、もっとも解像度が高くなるからです。
一方、絵画や音楽で物語を知ろうとすると解像度が下がります。そのため絵画や音楽から作者の物語を理解することは苦手です。
逆に絵画や音楽から、高い解像度で作者の物語を認識できる人もいます。
特に自分がもっとも苦手だからこそ、音楽の評論家はすごいと思っています。
私はJ-POPなどの歌はメインメロディしか追えません。
サブメロディやベース・ドラムの音などは、すべて一緒くたに耳に入ってくる感覚です。
しかし音楽の解像度が高い人は、それらを聞き分けることで歌の作者の物語を読み解いていきます。
自分にとって物語を知るための方法は言葉です。だからこそ他の分野のインプットも言葉がベースになっています。
歴史に興味があるのも言葉での情報が多いからです。そして歴史からも物語を知ろうとしています。
過去の状況で人はどう振る舞ったのか。自分だったらどうするのか。そのようなシミュレーションのために歴史を知りたくなります。
そのため歴史に興味があっても人名や時代を覚えるのは苦手です。当時の環境や行動原理に興味が湧いているからでしょう。
また創作に関してのインプット・アウトプットも、あくまで物語が中心です。
人がどのような物語を作るのか、自分はどうやって物語を操るのか。そのことを知るために創作しています。
こうやって分析してみると、いろいろなことが見えてきます。
物語を理解するときも、言葉、絵画、音楽など、人それぞれ解像度が高い分野は異なります。
歴史や創作に興味がある人でも、必ずしも物語を知るためという動機ではないはずです。
分析することで他者との比較が可能になり、そのことで自分の理解度が上がっていきます。
これが自分の専門家につながっていくと考えています。
生物学的特性への関心
もうひとつのグループは、人の生物学的特性を知るための領域です。
これらの領域は、個々の行動や特性をサンプルとして集め、データ化した情報が手に入ります。
その統計学的なデータによって見えてくる、生物としての人間の範囲に関心があります。
たとえば身長が1cmの人や100mの人がいないように身長には範囲があります。
同じように人の思考や振る舞いは物語に依存していますが、生物学的特性の範囲で物語は生まれているように思えます。
だから、その範囲を知ることで自分の理解が進むと思っています。
行動経済学は人が取りうる行動の範囲を、医学や脳科学、心理学は肉体や心の動きの範囲を教えてくれます。
ひとつ例を挙げてみたいと思います。
人間はドーパミンというホルモンが関与する『報酬系』という仕組みを通じて動いています。
報酬系が刺激されると、人はその行動を繰り返したくなる強い動機づけを感じます。
食事やセックスなど生存や繁殖に必要な行動で、この報酬系が特に強く刺激されます。
現代社会では、酒やタバコ、ゲームやスマホなど、報酬系を過剰に刺激するものも多くあります。
これらの行動に過度にのめり込むと、依存症と呼ばれる状態になることもあります。
どんな行動で報酬系が刺激されるかは人それぞれで、その差が個人の物語を生み出します。
ただ、この報酬系の仕組み自体は、すべての人間に共通する生物学的特性です。
このような生物学的特性も知ることは大切です。
生物学的特性は人間に組み込まれているため、基本的に変えられません。変えられるのは物語の部分です。
だから依存症から立ち直ろうとするときも、ドーパミンによる報酬系は無視できません。
たとえば報酬系が刺激されるような環境を変える。趣味を新しく見つけるなど、別の行為で報酬系を刺激する。
このように報酬系はベースにあると考えた上で、対策をしないといけません。
もちろん依存症の原因は報酬系だけではありません。実際に治療をする場合は、医療者による総合的なサポートが必要になります。
いずれにせよ人は生物学的特性からは逃れられません。
生物学的特性がデフォルト設定であることを理解し、その内容を知ることも自分の専門家になることにつながっていきます。
健康というハイブリッド領域
最後に健康について考えてみたいと思います。この分野は物語の要素も入るハイブリッドな領域です。
ただ物語の要素が強くなると不健康になるため、生物学的特性寄りに配置しています。
健康を手に入れるには、生物学的特性を知ることが必須です。しかし個人の物語も考慮する必要があります。
たとえば健康のために運動は重要です。これは生物学的特性にあたります。今の時代では能動的に体を動かすことが健康につながります。
しかし運動が苦手な人は、その事実だけでは運動できません。運動を習慣化するためには物語をうまく利用する必要があります。
私自身も運動が苦手なため例として挙げたいと思います。
自分の運動習慣はウォーキングが中心です。加えてランニングや筋トレも行いますが頻度はあまり多くありません。
このスタイルになったのは、運動以外のメリットを増やし、また運動しないデメリットを頭にたたき込んだ結果です。そこに多くの自分に合わせた物語があります。
ウォーキングであれば歩きながらポッドキャストでインプットしたり、アイディアを考えたりできます。
興味・関心が強い分野と連動させることで運動することのメリットを増やし、継続しやすくしています。
ただ今の自分の年齢では、ウォーキングだけでは強度が足りないという認識があります。
しかし強度の高い運動は息が上がって、インプットや考え事ができず、本当はやりたくありません。
そのため筋肉が落ちることによるデメリットを頭にたたき込みました。
そうすることで、ようやくランニングや筋トレを少し行えるようになっています。
運動が好きな人からしたら、そこまでしないと運動できないの?と驚くんじゃないでしょうか。
しかし運動をどうすれば続けられるのか?というのは物語です。
自分に合うものを模索した結果、このような独特な物語が生まれたのです。
生物学的特性を知ると運動の必要性がわかります。
そして、どのようなスタイルで運動するかというところには個人の物語が存在します。
そして、このときに生物学的特性を無視したり、物語を重視しすぎると健康を損なってしまいます。
たとえば自分は他にやりたいことがあるから、時間が無いからと運動を後回しにする。
これは生物学的特性を無視しています。現代では意識的に体を動かす必要があります。
自分にとって必要な運動はこれだと思いこんでしまい、強度が高すぎたり、低すぎたりする運動を選んでしまう。
これは物語を重視しすぎた状態です。思い込みによって、運動しているのに健康を損なうことになります。
健康になるには生物学的特性と物語をバランスよく考える必要があります。
このようなハイブリッドな分野だからこそ、もっとも興味・関心が強い分野とも言えるかもしれません。
他の領域でも自分を知る
今回は興味・関心という個人の精神的な領域で、自分の専門家になるための分析をしてみました。
このような分析は精神的な領域に限らず、肉体的な領域・物質的な領域などさまざまな領域でもできると思っています。
たとえば自分の身体能力について分析してみる。
自分の場合は運動が苦手だから、あまりいろいろと分析はできないかもしれません。
でもタイピングが得意など、指先の器用さまで広げて考えてみれば面白いかもしれません。
物質的な領域とは自分の周囲の環境などです。
家族や友達、仕事、持っている資産や住んでいる地域、そのような自分自身を取り巻くものを分析することで気づくこともたくさんあるでしょう。
自己分析というのはビジネスの文脈で行われることが多いです。ただ仕事という狭い範囲で分析するのは、もったいないと思います。
自分自身とは一生付き合うものです。どうせ自己分析をするなら、もっと多層的にやってみるといいのではないでしょうか。
それに年を経るごとに肉体や精神、環境は変わっていきます。
だからこそ自分と向き合い続けて自分の専門家になっていくほうが、どのような環境になっても生きていけると思っています。
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