0001 治しと癒やしの違い
病院で長い待ち時間を経験したり、医師とのコミュニケーションがうまくいかなかったりしたことはないだろうか。
健診を受けたら精密検査が必要と言われ、不安を抱えながら病院に行く。すると待合室では多くの患者がいて、予約時間を大幅に過ぎても自分の番が来ない。
やっと呼ばれた診察室では、医師からの問診と身体検査は淡々と進められ、こちらの不安な気持ちを受け止めてもらえているのかわからない。
また検査をすぐにしてもらえると思っていたら、予約の兼ね合いですぐにはできないと告げられる。検査が遅れても問題はないのか。そのような不安を伝えたくても、忙しそうにしている医師の前では躊躇してしまう。
そのような経験をした人もいるのではないだろうか。そんなときに、もしかしたら患者に寄り添えない冷たい医師だと思ってしまうかもしれない。
しかし、ただ冷たい人だから寄り添ってくれない。そんな単純な話ではないと思っている。そこには治すと癒やすという考え方が存在し、医療者と患者でなにを求めているかの齟齬によって生じる不満だと考えている。
治しと癒やしについて
人は病気になったとき治しを求める。体調を崩す前の自分、病気にかかる前の自分、つまり健康な自分に戻りたいと望む。
例えば、がんと診断された場合、がんがない健康な状態に治してほしいと願う。そのためには抗がん剤や手術、放射線治療などあらゆる手段を通じて治療に臨む。つらい副作用を伴ったとしても我慢する。それもこれも病気を治してほしいからだ。
しかし治すために通院しているとき、自分は大丈夫なのだろうかという不安も覚えるだろう。他にも、なぜ自分は病気になってしまったのか。ただでさえ病気になってつらいのに治療自体もつらいという思いなども持つ。
その気持ちをひとりでは抱えきれず、医療者に受け止めてもらいたくなる。そのときに人は治しだけでなく癒やしを求めている。
治しと癒やしの関係性
治しと癒やしの必要性を図で表すと、治しだけが必要な群、癒やしだけが必要な群、治しも癒やしも必要な群に分かれる。
治しだけで癒やしが必要ない群とは軽い病気の人が当てはまる。例えば風邪を引いてクリニックを受診したとき。夜、果物を切っていたら指を切ってしまって救急外来で縫合処置を受けたとき。そこに癒やしを求める人はほとんどいないだろう。症状を抑えたり、傷を治したりしてもらうだけで十分だ。
治しと癒やしが必要な群は、重い病気にかかった人の大半が入る。病気を治してもらいたいと思うとともに、不安な気持ちや、つらい気持ちも同時に癒やしてほしいと感じる。
ただこの群は軽い病気でも当てはまる場合はある。
例えば自分の子どもが初めて熱を出したとき、親は不安になり、場合によってはパニックになって受診することがある。そのときは風邪と診断して薬を出すだけではいけない。そこには母親の不安を取り除くという癒やしも必要になる。
もしけがをして救急外来に来た人も、傷は浅くても出血に驚き動揺していたら、問題ないですよと声をかけて落ち着いてもらう必要が出てくる。これも癒やしの分類に入る行為だ。
癒やしだけが必要な群は、つらい気持ちや不安な気持ちをかかえている人だ。 例えば仕事に失敗して上司に叱責された人や、友達と喧嘩してしまった人などが当てはまる。
この場合は、つらい気持ちに寄り添って話を聞くという癒やしだけで改善することがほとんどだ。
もちろん、そこには軽いものから重いものがある。場合によってはうつ病などのように、実は治しも癒やしも必要だったということもある。それなのに病院にかかるほどではないと思い、癒やしだけを求めてしまう場合もあるだろう。
医療では治しに注力せざるをえない
現代の医療現場では治すことが中心に置かれ、癒やしを提供できることが難しくなっている。それは治すための医療が発展し複雑になってきているからだ。
新しい薬剤や治療法、術式の開発など、今までの医療の発展は治る人を増やすために行われてきた。しかしこの医療の発展によって医療者は治しに割く労力が増えている。
単純に言えば、覚えること、やるべきことが多くなっている。例えば医師は更新され続ける医療の知識を頭に入れ続けなくてはいけない。
それは昔のような医師のさじ加減による治療成績の差が出ないように、多数の人を平等に救うためにガイドラインが作られているからだ。
これらは新たな研究結果が出ることによって、数年ごとに改定されていく。そのため常に知識を更新していかないといけない。
この波は医師だけでなく、看護師や薬剤師、技師などあらゆる医療関係者に起きている。治療やケア、薬剤、検査などあらゆるものがアップデートされていき、それについていく必要がある。
また治療だけではない。医療者は研究や教育もすることがある。研究は新しい治療につながるために行われる。教育は後進を育て次の世代の医療者を生み出すために行われる。
どちらもより多くの人に治しを提供するためである。そのため治すために割く時間が増えていき、代わりに癒やしに割ける時間が減ってしまっている。
もちろんそんなクリアカットになっているわけではない。治すことが癒やすことと同義の場合もある。だからこそ医療者は治すことに注力する。
医療者による癒やしの提供
大多数の医療者はただ治すだけではいけない、なんとか癒やしも提供したいとも思っている。しかし、もっと話を聞いてあげたい、不安を取り除いてあげたいと思いつつも、治すための業務が多くそちらに注力せざるを得ない。そのため癒やしは後回しにされることが多い。
では医療者が癒やしを提供することはできていないのだろうか。もちろんそんなことはない。医療者は癒やしも提供したいとき自分の時間を削ることが多い。
入院したことがある人は、医療者が当番ではない夜間や休日に病棟に顔を出して、患者と話す姿を見かけたことがあるのではないだろうか。それは業務時間には癒やしを提供できなかったと思う人が顔を出していることが多い。
しかし、それには限界がある。医療という枠組みの中では、どうしても治すことを主体におかざるをえない。そして医療者も無限に体力や時間があるわけでもない。だからこそ、これからは癒やしに注力する存在も必要であると考える。そこには癒やしの中にひそむ問題点もあると考えているからだ。
この問題点については次の記事でまとめたい。
医療現場では、治すことに重点が置かれ、患者の不安に寄り添う癒やしを十分に提供することが難しくなっている。医療の発展によって、医療者は治すために多くの労力を割かなければならなくなったためだ。しかし、医療者の多くは癒やしの重要性を認識しており、限られた時間の中で癒やしを提供しようと努力している。
これからは、治すことと癒やすことのバランスを取るために、癒やしに特化した医療者の存在が必要になってくるだろう。患者の心に寄り添い、医療者と患者の橋渡し役となる存在だ。そうすることで、患者の満足度が上がり、より良い医療を提供できるようになるのではないだろうか。
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