言葉で上げる自分の解像度:内なる想いを伝えるチカラ

自分の物語を綴るということは、自分自身と向き合うことでもある、と私は思っています。
自分が世界をどう認識しているのか、そしてどんなふうに認識したいのか。そのうえで、前に進むためにはどんな行動や思考が必要なのか。
そうしたことを考えるには、自分自身との対話がとても大切です。とはいえ、じっくり自分と向き合うのは思った以上に労力がかかって難しいですよね。
私は以前、睡眠を軸にして実践する方法をエッセイとしてまとめてみました。
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これは行動をもとにして自分自身を知るという方法で、外の世界から内面世界へとアプローチする方法でした。
今回はその逆というか、内面世界から外の世界へ働きかけるようなアプローチで、自分の物語を綴る方法を考えてみたいと思います。
外の世界から内面世界へ、そして内面世界から外の世界へ。この行き来を繰り返すことで、無限に物語が生まれてくると信じているからです。
目次
自分自身の解像度を上げる
「自分はどういう人間だろう?」という疑問は、いわゆる自己分析をするときによく考えますよね。
長所はなんだろう、短所はなにがあるだろう、といった具合に。
私たちが自己分析を行うのは、大学受験や就職活動など、面接を受けるタイミングであることが多いように思います。
そのため、自分が分析した内容は「ほかの人に伝わるような言葉」に置き換えられていくことが多いですよね。
もちろん、それによって自分のことが少し詳しくなるのは事実だと思います。でも、自分の物語を綴るうえでは、どうしても足りない部分があると感じることがあるんです。
というのも、他人にわかりやすく伝えるために、どうしても自分の解像度をある程度まで落としてしまうからです。
自分の解像度とは
解像度という言葉は、もともとデジタル画像に使われる用語ですよね。画像がどのくらいの画素(ピクセル)で表現されているかを示すもので、4Kや8Kなどの呼び方を耳にしたことがあるかもしれません。
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ピクセルの数が少なければモザイクのように粗く、多ければ細かい部分まで表現できる精細な画像になります。
実は、自分自身を表現するときにも、これと同じようなことが言えると思うんです。
デジタル画像でいうピクセルが、自己表現においては「言葉」だと考えてみてください。どれだけ多くの言葉を使って自分を説明するかが、自分の解像度の高さにつながります。
ただ、他人に自分のことを伝えようとするときは、時間や状況の制限がどうしてもありますよね。面接なら、限られた時間の中で話さないといけないですし、普段の会話でも長々と自分のことをしゃべり続けるわけにはいきません。
結果として、どうしても「これなら伝わりやすいだろう」という範囲に情報を絞ってしまい、自分を粗めの解像度で語ってしまうことが多いのではないでしょうか。
でも、自分自身をより深く知りたいと思うなら、もっと言葉を増やして解像度を上げてもいいはずです。自分との対話は一生をかけて続けられるものですから。
美術館の例
ここで、私の経験を少しだけご紹介します。私は趣味として美術館に行くのが好きで、特にルノワールなど印象派の絵画をよく観に行きます。

こう言うと、人によっては「へえ、美術館が趣味なんだね」くらいで話が終わりそうですよね。でも実は、それだけでは説明しきれない理由や好みがあったりします。
たとえば、同じ印象派の絵でも、私は楽しめるときとそうでないときがあるんです。最初は「今日の気分次第かな」と漠然と思っていました。
ところが、ある日、川瀬巴水という版画家の展覧会を見に行ったとき、はっきりとした理由に気づきました。

彼の作品は、静けさを感じさせる日本の風景を多く描いていて、その絵にじっと見入っていると、私の頭の中も自然と静まっていくんです。
しかもその日は平日で、ほとんど人がいませんでした。おかげで、作品を独り占めするような感覚でじっくり眺められたんですよね。
そのとき私は、「ああ、自分は頭の中を空っぽにしたくて、美術館に行くんだ」と、やっと言葉で理解できたんです。美術館には趣味として十年以上も行ってたにもかかわらず。
印象派の絵画にも風景画が多いことを思い出して、あの圧倒的な光や色の表現に思考が吹き飛ばされるような体験が好きなんだと気づきました。
一方で、印象派の展覧会が楽しみづらい理由は、人が多すぎること。人気があるぶん、会場が混雑してしまい、なかなか絵に没頭できないのが難点なんですね。
もし私が普段の会話でこのことを長々と説明していたら、「趣味が美術館だよ」という一言で済む話が、とても長く感じられるでしょう。でも、自分の内面を詳しく理解しようとするなら、こうやって言葉を尽くして解像度を上げてみるのは大切だと思うんです。
自分の性格も細かく見てみる
これは性格や気質にも当てはまると思います。たとえば、「私は真面目な性格です」と言うだけだと、かなり粗い解像度ですよね。実際には、「〇〇のときはすごく真面目だけど、△△のときはすぐに気を抜いてしまう」といった、状況ごとのバリエーションがあるはずです。
そういう細かい部分まで掘り下げて言語化してみると、自分の性格が「ただの真面目」ではなく、いろいろな条件や要素が入り組んだ結果として成立していることがわかるかもしれません。そうすると、自分のなかに新しい発見が出てきて、おもしろく感じられます。
言葉を増やしたら行動に移す
こうして言葉を使って自分の解像度を上げたら、その上で行動してみるのがおすすめです。
私の場合、「美術館に行くのは頭を空っぽにしたいから」ということがわかったので、川瀬巴水の展覧会の翌日、実際に行動に移してみました。
近くにある、横山美術館に朝一で足を運んでみたんです。
そこは風景画ではなく陶磁器を展示している美術館でした。しかし、そこに描かれているものは風景や動物など自然も多かったんです。
そして朝一で行くと一番乗りで誰もいなかった。すると川瀬巴水の展覧会と同じ様に没頭する体験ができたんです。それからは印象派でも人が少ない時間帯や小規模の展覧会を選んで行くようになりました。
すると、さらに好きな作品に出会える機会が増えたり、新しいアーティストを見つけたりして、趣味としての楽しみがどんどん広がっていったんです。
これって、いわば「内面の気づきをもとに外に踏み出す」ということだと思います。このプロセスが「内から外へと綴る物語」でもあるわけです。
デジタルとアナログの違いを忘れない
とはいえ、いくら言葉を増やして解像度を上げても、結局それは「自分そのもの」ではないということは意識しておきたいポイントです。
デジタル画像はどれだけ解像度が高くなめらかに見えても、拡大するとピクセルの角が見えてきます。同じように言葉による表現にも限界があります。
言葉はデジタルのように「離散的」なものなので、言葉にできない思いや感覚はどうしても切り捨てられがちなんですよね。だからこそ、「これだけじゃ語りきれない部分もあるんだ」と心得ておくと、必要以上に自分を型にはめずに済むのではないでしょうか。
粗い解像度だけで済ませてしまうのはもったいないけれど、言葉をいくら尽くしても伝わらないものはある。そんなふうに考えながら、言葉にできる範囲と、言葉にしなくてもいい範囲の両方を大事にしていけたらいいなと思います。
こうして内面世界と外の世界を行き来しながら、私たちは自分自身の物語を少しずつ綴っていくのだと思います。行動をもとに内側を見つめ、内側の気づきをもとに外へ踏み出す。この繰り返しが無限の物語を生み出す――私自身、そう信じながら日々を歩んでいます。
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