最終話 新しい「人」生
ふたりは駅の改札の前で待っていた。土曜日のせいか午前中でも人通りは多い。しばらくすると懐かしい顔ぶれが見えてきた。
「仲間さん! 楠本さん!」
忌子が手を振りながら改札の向こうにいるふたりに声をかける。こちらに気がつくとふたりの表情がぱっと明るくなり、小走りで改札を抜けてこちらにやってきた。
「元気そうで良かった!」
仲間がうれしそうに声を上げる。もともとふたりは休暇を利用してこちらに来ていた。そのため忌子が退院する前に離れざるを得なかった。命に別条がないことは入院中に判明していたし、退院してからも連絡は取り合っている。それでも実際にこうやって直接話すのは、あの駐車場で別れて以来だ。思わず忌子の目から涙がこぼれる。
「仲間さんたちも無事で良かった……」
今更ながら、思いがあふれ出てくる。あのときの別れが今生の別れではなく、またこうやって会えて本当に良かった。その様子を見て仲間が頭をなでる。
「こっちこそ。ふたりが無事で本当に良かった」
そのほほ笑みに遠慮なく甘えて顔をうずめる。
「今日はおやすみなんですか?」
秀俊が楠本に問いかける。
「うん。今日は一日休みだよ。あしたは病院に顔を出さないといけないけど」
「それじゃあ、あとでいろいろと相談したいことがあるので、いいですか?」
「わかった。任せて」
ふたりの様子を見ると、どうやらあらかじめ楠本に相談する旨を秀俊は伝えていたようだった。
「なんだふたりして悪巧みでもしてるのかい」
仲間は忌子を抱きしめながらもふたりに声をかける。
「いや実は……」
秀俊が少し気恥ずかしそうに言いよどむ。忌子も仲間から離れて彼の方を向いた。すると彼は真面目な顔をして、こちらに向き直る。
「実は医者になりたいなと思って、そのためにいろいろと楠本さんに相談しようと思って」
その告白に仲間は目を丸くしていた。
「八乙女さんを助けられたことがきっかけで。自分でもこうやってできることがあるんだなって気がついて。それに母さんも今は精神的に疲れているだけだと思うんです。その助けにも医者になればできるんじゃないかなって」
その言葉には秀俊の優しさがにじみ出ていた。もし彼が医者になったとしたら、その優しさに救われる人は大勢いるんじゃないだろうか。
「偉い! 私は全力で応援するぞ」
仲間が秀俊の肩をたたきながら激励する。その勢いに押されながらも彼は笑っていた。
ここしかない。本当は場所を移動してから伝えようと思っていた。でも今ならみんなに伝えられる気がする。むしろ改まった形より、気楽に伝えられるかもしれない。
「実は私も伝えたいことがあります」
宣言するかのように手を上げてこちらに注目を集める。
「名前を変えようと思っていて」
忌子。それは神様に嫁ぐために父様が決めた名前。その名前に誇りを持っていた。でももはや神に嫁ぐことを拒否した自分に、この名前は似つかわしくない。
「それで名前を希望の希に子で、キコって改名しようと思っていて。親友がつけてくれた名前だから。だからみんなにもそういうふうに呼んでもらいたくて」
口に出してみるとなんだか恥ずかしい。やはり今の雰囲気に乗せて言えて良かった。すると突然、仲間が近づきまた抱きしめてきた。
「私にとっては会ったときからキコくんだよ。これからだって何度でも呼んであげるから」
鼻をすすりながら言う仲間の言葉がうれしかった。
「キコちゃんて呼ぶのはなんだか気恥ずかしいね。でもそうやって呼んでいく方が改名もスムーズだよね」
楠本もキコと呼んでくれた。そして彼の方を振り返る。実は最も呼んでほしい相手。そしてさっきは恥ずかしくて言えなかった。
「良い名前だね。これからもよろしく希子」
彼に名前を呼ばれたとき、神として生きるための忌子はいなくなった。
希子。これからは新しい「人」生が始まる。